2018年5月5日土曜日

CI療法、喜怒哀楽~絶望と出会い

どうも、蒼です。CI療法シリーズ第2弾です!

急性期、たまたまOTさんが同じ楽器であったことから私の強い想いはスムーズに理解されており、再び吹くまでにはどういう機能が必要か、というのも把握しておられました。上肢の機能回復にも積極的に取り組んで下さったので、夢と希望・強い想いをもって転院した回復期。入院時カンファレンスで意気揚々と「どうなりたいか」という希望を伝える私に、Dr.が放ったのは「左手を100%元通りにするのは難しい」という言葉でした。びっくりしましたねー(笑)期待を持たせないための発言(もしくは治らなかったときの保険?)だとしても、私の体を評価していない段階で当事者のやる気をへし折られるんだ、そう思いました。

なんとかモチベーションを維持しつつ、主治医であったDr.との攻防も繰り広げたり、主治医をクビにしたりしながら(笑)なんとか励んでいた私を襲う次の試練は「左上腕骨頭前方変位」という症状でした。背面の筋出力が弱く、前に引っ張られることで骨頭が通常の位置よりも前に出ている、という説明を受けましたが、これ、とにかく痛い。上がるようになっていた肩も痛みで全く上げられなくなり、ここから退院まで絶望の2ヶ月を過ごすことになるとは想いもしませんでした。
※今から思うと急性期で亜脱臼があったにも関わらず歩行時のガードは何もなかったし、背面や肩周りの筋肉に例えば電気刺激を入れながら機能訓練をするという配慮も全くなかったので、どこかで無理がかかったんでしょうね~!

主治医が副院長に変った後も苦難の道は続きます。痛みはとれない、病棟内の制限は強い、このまま治らないならもう退院して右手一本だけで暮した方がマシだ、と思ったこともありました。外出、外泊の機会を多く許可され、右手だけで生活するイメージをつけていた時期でもあります。
そんな時に出会ったのが「CI療法」という副院長が発した希望の光につながる言葉でした。健側を固定or拘束して麻痺側を動かす、という説明を当時は受けました。最初の提案はCI療法の総本山、兵庫医科大学でのリハビリではなく、系列病院のささやま医療センターでの入院・リハビリでした。CI療法での再入院には自宅での自立生活が要件とのことで、強引に退院したのは12月1日。その前2週間はラストスパートと称して3時間フルに肩ばっかりやってはりましたね。当時のつぶやきがこちら。

しかし、退院前日、大事件勃発!ささやま医療センターから受け入れできない、という返事がきたというではないですか!信じられる?前日っすよ?(笑)すったもんだの末、次の受け入れ先として決まったのが関西リハビリテーション病院。病院なんか信頼できねえ、っていうスタンスもわかってもらえるかと思います。

退院してきてからは、BAD見逃したやろ!と外来でのリハを急性期病院に引き受けてもらい、週4日の外来リハと週2日の訪看リハ、という日々。12月から様々な療法士さんと情報交換をしていく中で、「らいすた」の存在に出会うこととなります。初視聴は1月。たしかゴルフをなさっている当事者さんの動画が使われたと記憶しているのですがこんな風につぶやいています。
さらに厚かましくも、らいすたの代表である寺岡先生、副代表の京極先生、そしてCI療法についてらいすたを行なっておられた竹林先生にメンションで質問しています。すげー度胸だな、当時の私。しかも、竹林先生からお返事をいただいたことで一気に道が開け始めます。
このコンタクトから兵庫医大にTEL、CI療法についての資料を取り寄せて兵庫医大では外来診療にしか対応していないことがわかりました。回復期で「入院」というものに不信感しか抱かなかった私にとっては外来リハこそどんとこーいでした。問題は紹介されずみの関西リハビリテーション病院。お顔ぐらいはしっているDrの初診で「いやー、兵庫医大行きたいんですけど」っていきなり言えるほど厚顔無恥ではないので、策を考えました。実は関リハも入院でのCIしか患者さんをとっていなくて、期間は1ヶ月。私はそこを逆手にとり、こう問いかけたのです。「リハビリは受けたいけど、うちにはW受験を控えるコドモたちがいるので、外来リハでCIを受けたい。関リハでは外来に対応はしていないのか?」Dr.はその場で兵庫医大に連絡をとってくださり、外来希望の人を見てくれるか、と問い合わせ、無事OKが出たのです。確かその日にもらいすたがあり、疲れやすさのリカバリについて呟いたところ、思いがけず竹林生からのコメントをいただいた覚えが! 中学生の時に、運は正面から受け止めないとうまく捕まえられないから、時期とタイミングを逃すな!との教えがこの年になって活きました(笑)

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